こんにちは。IT/経済ジャーナリストで投資家の渡辺です。
Twitterのアカウントを眺めていたら、日経新聞のつぶやきが流れてきました。
企業の法令順守 3つの勘どころ 内部通報・監査の徹底・IT活用
編集人はサラリーマン時代に金融機関でデータを使った監査やコンプライアンスの仕事をしていたので、興味深いトピックなので、少し取り上げて見たいと思います。
教科書的には、この解法(ソリューション)で合っています、というか個々の環境やスキル、意識に依存することはなかなか一般化できないので、これが「最小公約数」(ひどい造語ですが)なのです。
ところが過去の事例では、あるいは実際に企業内で見聞したケースでは、内部通報と監査は機能しないことも多々あります。
●仕組みより意識の問題
サラリーマンは長い物には巻かれろという習性が骨の髄まで身についているので、通報された人間が実力者の場合、あっさり通報者の名前が知れ渡り、通報者が不利益を被ることになります。
確かに法令遵守は大事ですが、オーナー企業の経営者一族、営業中心で行け行けどんどんの社風の会社の場合、得てして成績の良い営業部門の幹部は押し出しも強かったりして、コンプライアンス部門や監査部門が何も言えないケースがあります。
また、監査部門やコンプライアンス部門が、わりと社内で評価の低い人や大人しい人の行き先になっている場合、発言権がない会社も散見されます。
金融系の会社だと金融庁の監督があるので、ある程度しっかりした監査やリスク管理の人材を揃えていますが、普通の事業会社は千差万別です。
監査部門の強くない会社だと、たとえば監査部の人を会議に呼んで、よく理解できておらず、また事を荒立てなくない監査人が何も発現しなかったことを議事録に残し、「監査部門から特にコメントはなし(=つまり、監査からお墨付きをもらった)」というように、悪用されてしまうケースすらあります。
またグレイゾーンでのコンプライアンス上の疑問を弁護士などに相談するスキームもありますが、これも千差万別です。判断がしにくいので、法律家に相談するわけですが。
編集人の経験だと、外部弁護士は安全な方向で、社員の内部弁護士は会社寄りの姿勢で、それぞれ意見を出す傾向があるように思います。それぞれ、自分の飯のタネを守るという意味では、経済合理性のある行動ではあります。
●ITによるコンプライアンス・モニタリング
たとえば経費精算システムのデータログなどから、金額が異常に高い、経費ルールの上限金額に近いところでの支払依頼、経費の支払金額がやたら多い部門や個人、特定の取引先にやたら細かく何度も支払っている、などチェックすべきポイントはいくつもあります。
社内にどのようなデータログがあるのかを洗い出し、それに対し、どのような切り口でデータの抜き出しを行い、それを誰がチェックし、何かあれば支払を止めるのか、という流れでプロセスを作れば、現状でもある程度のデータ志向のモニタリングは可能です。
ただしそのようなログは社内のあちこちにあるので、自動化するには、1)どのようなデータが社内にあるのか、2)データの信頼性をどう担保するのか(場合によってはシステムや業務プロセスの改修が必要)、3)それをどう集約するのか、といった見直しや改修が必要になる可能性が高くなります。
もともとITによる合理化や効率化を進めていた組織であれば取り組みやすいでしょうし、逆にあまりITを活用していなければ、今後、経理システムや営業管理、在庫や出荷管理などをある程度戦略的・段階的にIT化していかないとこのアプローチを取ることは難しいでしょう。
つまり一部のIT化が進んだ企業以外は、内部通報者をいかに保護するか、法令違反事例やそこまで行かなくても不適切なビジネス上の行為を知らされた時に、どれだけ迅速に、厳しく手を打てて、なおかつ内部通報者が不利益にならない仕組みを作るかが解法になります。
とはいえ、通報する方には同じ仲間を売らざるを得なかった、された方には誰かに売られた、という意識が残り、それぞれ精神的に屈折した思いも残ります。
その意味では、そもそもルールを曲げてまではビジネスをしないという組織風土づくりをトップが心底理解した上で、トップダウンで時間をかけて風土を作っていくしかないのかもしれません。
コンプライアンスのためだけに高いお金をかけてシステムを整備するわけにも行きませんが、今後のAI利用で大きく業務の効率化や合理化ができるわけですから、まずは中期的な戦略で会社のIT化やデータ活用の仕組みを整備することを目指します。
そして、そのIT戦略の中の重要な機能の1つとして、コンプライアンス・モニタリングを位置付け、段階的に実現していく、というのが、もっとも現実的で効率のいいやり方といえるでしょう。
●マスコミの姿勢や法令の運用にも問題あり
もう1つ、どうしても記しておきたい問題として、マスコミや行政の姿勢も挙げられます。
リスク管理の視点で見た場合、ビジネスにおけるどのようなリスクがあるのか、その実際のダメージや想定される被害・損害に応じてコストや手間暇を掛けるものです。
ところが、マスコミはルール違反というだけで、リスクや想定される被害の大小に関係なく、大きく取り上げます。
さらに、(子供の頃から怒られ慣れていないので)そこで報道された内容に対して、行政側も微に入り細に入り考慮して、「行政指導」したり法令に反映させたりします。
実際はリスクが高いのか低いのか、すぐに何とかしないといけないほど危険なのか、それとも多少は待てるのか、それとも実害はないからあまり気にしないでいいのか、等、いろいろな段階があります。
もちろんマスコミは話題性のあるニュースを取り上げて読み手の注意を喚起し、媒体の売上を上げるというインセンティブがあるので、その業界内部で見た場合は経済合理性があります。
また行政についても、実際は低リスクと分かっていても万が一何かリスクが発現した場合に非難されるのはイヤなので、組織や個人の身を守る為に、法律を作ったり命令を出したり、どうしても過剰対応する方向に行く傾向があります。
それが無駄な仕事やコストを産み、日本社会の生産性を下げ、社会の活力を奪い、働く人の徒労感だけ増し、という悪循環を生んでいるように思います。
ルールを守り、弱者を守ることは大切ですが、「適切」、「適当」の範囲をよく考えるべきです。
経済ヤクザ的にいえば「誠意を見せろ」ということかもしれませんが、潜在的に100万円の損失の可能性があるリスクに、500万円とか1千万円もかけて対策を打つようでは、企業はやっていけません。
●個人のライフデザインとしては
もう1つ、潜在的に透けて見える課題は、多くの人が今いる会社に、つまり単一の収入源に依存しすぎていて、会社と従属的な関係を結ばざるを得ないということです。
つまり、万が一社会正義やルールに違反せざるを得なくなった時に、不正をして犯罪者にさせられるくらいなら辞めるという選択肢を取れるのか、それとも何もサポートがないので(発覚したら担当者が勝手にやったと言われるのに)従わざるを得ないのか、ということです。
そういう時に公的扶助の仕組みがあるわけではないので、次善の策としては個人として複数の収入の流れがあり、会社に依存しなくても三度の飯くらいなら何とか食えるような状況を作っておくという手があると思います。
幸い、副業に対するタブーも緩んできましたし、投資についても有効な情報が入手可能です。よりよく、よりリスクなく生きるために、思考停止せずに少しずつでも自分の武器を増やしていくべきでしょう。
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個人での投資戦略については、編集人が同時に主管する以下のオンラインマガジンもぜひご一読ください。
参考: AI投資による自分年金研究室
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