【体験記】移住者の多い高原の小さな村の地味な選挙戦とその課題

山と山の間の小さな村の話です AI時代の生き方

甲信越のある村で、学生時代の親しい友人が村長選挙に立候補しました。

以前から相談を受けていて、何かあれば応援に行く、と約束していたので、仕事を2日休んで、クルマで2時間半ほどの山の多い地方の、小さな村を訪れました。

狭い村ですが、鉄道も高速道路のインターもある交通の便の良さ、近隣に大きな市があり、ベッドタウンとなること、ふるさと納税などで財源を確保し、子育て世代への支援もしていること等で、過疎化の進む甲信越の村落部で唯一、人口が増え続けているところです。

過疎地の選挙の様子、そこで見た風光明媚な地方の生活や問題をレポートしてみたいと思います。

箱モノ行政の前村長と建設業者が推す相手候補

一部の村落部では、何期も長期政権を続ける首長がいて、その周辺では建設業など特定の産業を中心とした取巻きがいて、当たり前のように談合して、その中心の企業や周辺の小規模な事業者や、そこで働く地元の人に一定の雇用を提供しています。

今回は友人の他にまだ移住して数年という若い対立候補がいました。

ところが、彼の後援会には前の村長や、村最大の建設会社の会長、前の議会の議長などが名を連ねていて、なかなか分かりやすい構図です。

実際、選挙中に村中を走り回りましたが、小さい村なのに地区毎に立派な公民館やら地区センターがあり、箱モノで成り立っていることがよく分かります。

友人によると、実際に建設会社名と落札時の提示価格の書かれたメモを拾ったことがあるそうです。

実は親戚にも同じような田舎の小さな土建会社の社長がいて、田舎はどこも談合はある、無理して価格競争をしても品質は下がり、事業者は疲弊する、良くないとは思うが、地域社会を持続させるためにはやむを得ないと語っていました。

地方の過疎化、高齢化、交付金に頼らざるを得ない財源、ふるさと納税による財源獲得合戦、一次産業や観光業以外の収入源の開発、いろいろな問題が見えてきます。

元からの住民と移住者の微妙な関係

選挙戦は1週間でしたが、3日前の木曜日の朝から参加しました。

過疎化を食い止め、村の活気を取り戻すためには、若い世代を集める、つまり移住者を呼び集める必要があります。この村は珍しく人口は増加を続けていて、移住者政策は上手く回っているように見えました。

一方で村の行政サービスも範囲が決まっていて、自分のことはかなり自分でやる必要のある村の生活と、公共のサービスと民間の商業サービスの充実した市街地から来た移住者には、かなり意識のギャップがあるようです。

移住者も増えているが、自治に参加しない人も多いという

村の内部はさらに地区や隣り組といった自治組織があります。

コストやサービス範囲に限界のある村の行政サービスでは行き届かないところ、たとえば幹線道路を外れた地域の道路の雪掻き、そのような地区内の道路や土手の点検や補修、消防団、その他地区内の自治や冠婚葬祭など。

田舎で敷地の広い家を買い、人間関係のしがらみを離れて、大自然の中でのんびり暮らしを夢見て来た人は、そのようなコストや手間を嫌い、自治会や隣組に入ったり、月に数千円程度の自治会費の支払いを拒否する方も少なくないそうです。

とはいえ、何の負担もしない人が、自分たちが補修し、雪掻きした道を使うのは古くからいる自治会の人からすれば、いわゆるフリーライダーですから面白いはずがありません。

そんな感じで、古くからいる人、移住してきた人で地域に溶け込んでいる人、移住してきた人で地元とは一線を引いている人、高齢者世代、子育て世代、建設業者とその周辺、近隣の大きな市や町に働きに出ている人など、いろいろな人の思いや思惑、利益誘導の入り乱れたところでの選挙戦となりました。

金曜日の午後は、候補者の友人も眠いからいいや、と朝の出発も9時近くなったり、昼前は早めに切り上げて事務所に戻ったり、お昼を食ったら母屋に戻って寝てしまい、13時20分集合なのに半になっても起きてこなかったり。

月曜の朝7時から連日20時まで声を張り上げ、支援者を回り、激励はされるものの、たまに対立候補の支持者からは心ないことも言われ、体力的にも、気力という意味でも確かに疲れるとは思います。

かなりのバイタリティやメンタルの強さが必要ですが、友人はわりとヘタレなんで、落ち込んでしまう時もあり、その時は励ましたり宥めたりスカしたり。

とりあえず強く印象付けるためにも、気を取り直して、名前を連呼して村内を回り続けます。

中央アルプスに向かって演説

公職選挙法で認められた朝8時から大音量での選挙活動が許されるので、8時から20時までの半日が、選挙カーに乗っての選挙活動のメインとなります。

それに先立つこと、7時30分くらいに集まり、そこから、村の地図を見て、回る順番、重点的に演説する場所、相手候補の公開されている予定などを書き込んでいきます。

オレンジのウィンドブレーカーを着て、腕に選挙管理委員会の印の入った腕章を付け、ボランティアで近隣の町から駆け付けてくれた友人たちと屋根に看板とスピーカーを付けたレンタカーに乗ってスタートです。

社内には拡声器のアンプがあり、友人はワイヤレスのヘッドセットで、ウグイス嬢を務める知り合いの女性は有線のオーディオテクニカのカラオケ用と思われるダイナミックマイクを持ち、まずは友人が「◯◯地区の皆様、お世話になっております。村長候補の◯◯でございます。誰もが住み良い◯◯村を皆の力で作っていきましょう!」等と、なかなかの名調子で語っていきます。

そこにウグイス嬢の女性も「議員経験◯◯年、皆様の声を聞いて、さらに住みやすい村を作って参ります。どうか皆様のお力で、」等と巧みに絡めていきます。

その脇で自分も白手袋を付けて、あまり人の気配のない集落の中で懸命に手を振り続けます。

たまに農作業中の人が顔を上げて手を振ってくれたり、すれ違った軽トラや走行距離の長そうな軽自動車の運転席の窓が空き、「頑張れよ!」と激励の声をいただいたりします。

友人は小心者で自己イメージが低い奴なので、心底嬉しそうな声で「おクルマからのご声援、ありがとうございます! 本当に心強いです」と地区中に響き渡るような声で返していました。

公民館の前とか少しスペースのある辻などで、クルマから降りて街頭演説しますが、もともと人口が少ない上、村内の有力者のバックもない友人の動員力もそれほどあるわけでなく、美しい中央アルプスの山並みに向かって、自分も応援演説したりもしました。

地区によっては2〜3人くらい居合わせた人が話を聞いてくれたりもありましたが、相手候補が公民館で50人集めて演説会をやった、とか聞くと、やはり気が気でありませんでした。

お昼に事務所に戻り、支持者がセブンイレブンで買っておいてくれた(後で友人が代金は払っていましたが)おにぎりやサンドイッチを食い、また別の支持者が差し入れてくれた煮物や赤飯などを食い、候補者の友人は少し仮眠。13時30分からまたクルマに乗り込み、午後の部をスタート、という感じでした。

小さな村なので、遊説中に知り合いに出会うと、それなりに激励されていました。

古くからいる層は、対立候補はまだ移住して数年で村内で顔が売れていないこと、また彼のバックには前の村長や村で一番大きい建設会社の会長がいることもあり、心ある方は、来たばかりの若い奴を焚き付けて、いつまで箱モノ偏重の昔のスタイルの利益誘導を続けるのかと批判的な思いを抱えているようでした。

その彼も新しい取組みを村にもたらして村を変革しようとしている反面、そのようなアンシャンレジューム(旧体制)側に借りを作ってしまい、どうするのでしょう? とは、他人事ながら心配になりました。

友人はもともと親の代はこの村の人間で、彼自身も20歳くらいからこの村に来て相当長くいるので、わりと古くからいる高齢者(土建業以外)からは好意的に迎えられているように見えました。

村を冬キャンプの聖地に

夜は手振りも応援演説も不要なので、ガレージに机や椅子、ストーブを並べた事務所で山から吹いてくる寒風が扉をガタピシ鳴らす音を聴きながら、選挙対策本部長という腕章を付けた同世代くらいの方といろいろ語り合いました。

個人的には似た環境の長野県の安曇野が好きでよく行きますが、実は地形も雰囲気でもこの村も負けていないことに気付き、そのことを伝えました。

こちらにないのは、イメージや知名度、そのイメージに寄せられて集まってきたお洒落なレストランやギャラリーと言った文化的な香り、そして有明や穂高辺りにいくつも温泉のある安曇野ほどは有名な温泉地がないことでしょうか。

施設を整えて、TwitterやYoutubeといった定番プラットフォームできちんと情報を発信し、併せてイメージ作りをしていけば、この村にはけっこうポテンシャルがあるとは思っています。

すると、選対長曰く、一番の問題は雪の多いエリアで冬場の集客をどうするかであり、一つは中央高速のインターからそれほど離れていないところにスキー場があり、インターからスキー場の除雪さえすればよいとのこと。

もう一つは、やはりインターから程近いところにキャンプ場があり、そこで冬キャンプが出来るようにしたい、というアイデアを語ってくれました。

彼は薪ストーブのお店をやっていたことがあり、テントを張り、薪ストーブを入れれば冬でも過ごせること、また近隣の障害者雇用施設の目玉商品の一つに廃材を使った薪があり、市価の半分以下の値段で現地供給が出来るなど、すでに環境が整っていることを説明してくれました。

それ以外にも同じ年代として、今後はもっとやりたいことをやろう、いつ死んでも悔いないようにしたい、など考え方が合い、何とも意気投合しました。

山で薪ストーブなんてのも気持ちは良さそうですが、冬場のスタッドレスタイヤに履き替え、灯油やら薪を用意し、雪掻きをして、それでも道は凍結して、とか温暖な首都圏育ちの軟弱な自分には無理そうです。

その彼曰く、この辺の市町村で間取りはゆったりしているように見えるが、やはり少し住宅があると薪ストーブの煙に苦情が来たり、バーベキューも火が出るから禁止なんてエリアもあり、庭の広い田舎に家を買ったから、といって何でもしていいわけではないようです。

そして20時になると、村内の遊説を終えた選挙カーが帰ってきます。拍手で出迎え、候補者や同乗者をねぎらいました。その日の感触や反省を報告しあい、そのうちに昼は育児をしながら仕事を休んでいる友人の奥さんが、急いで夕飯の支度をしてくれたりして、21時過ぎまでは人が残ってあれこれやっていました。

【まとめ】選挙戦の感想

日曜日の夜22時過ぎ、やきもきしていると、息子が田舎の村の選挙結果をいち早く見つけてきました。どうやったのか、中部地方に強い中日新聞を検索してきました。

以前その友人と実家近くで会ったこともあり、息子も自分と同様にやきもきしていたようでした。

結果として、友人は3,000票vs2,500票ほどの差で破れました。村の有権者はその倍くらいはいるはずで、あまりの低い投票率に驚きました。(追記:あとで聞いたら、投票率は50%ちょっとだったとのこと。地域の政治への関心の低さに驚きました)。

これでは、残念ながら、仕事を失うまいと必死の、建設業者連合軍には敵いません。

何かが足りなかった、と言うと、息子曰く、友人と相手候補のポスターを見比べると、印象では相手の方を選ぶと思う。なぜなら、相手の方のポスターは赤とか黄色とかカラフルな色を使って目を惹くし、また自分が当選したら、あんなことも、こんなこともする、と実現できるかどうか分からないのに、いろいろな公約を具体的に書いている。

それに対して◯◯さんは「困っている人に寄り添う」だけで、具体的に何をしてくれるのか、と言う疑問が残る。結局多くの人は感情と印象と自分の利益で物事を決めているし、政治に対しては何をしてくれるのかと言う受け身な態度だ。

自分は◯◯さんの方が誠実にやろうとしているのは分かるし、ああいう田舎の村では自分たちのことは自分たちでやらないといけないのが現実なのに、どんなサービスをしてくれるのか、というところで、ウソでも甘いことを言った方が地方の選挙では有利なんだろう、心理学の差で及ばなかったんだろう、平気でウソを言わないといけないとすると、政治家はサイコパスでないと務まらないのかもしれない、となかなか鋭い分析をしました。

確かに公約がなかった訳ではないのですが、自分もポスターや資料の内容がよくいえば現実的、悪くいえば控えめだな、という意味で同じ印象はありました。もうポスターを印刷に回していたので、間に合わなかったのですが。

また友人は、ケネディみたいに、「村に何をしてもらうか、ではなく、村のために何ができるか?」とか「限られた予算で要らない活動は削り、何とか財源をねん出し、上手くやり繰りします」とか具体的な、至極まっとうな話をしていたのですが、なかなか理解は得られないのが人の世の現実なのでしょう。

財源があるのかは分かりませんが、相手候補は「子供の医療費無料」とか「年配者のサービス拡充」とか、かなりバラ撒く内容ではありました。それで持続するのか、という問題はありますが、多くの人がそこは見ないようにして、結果的に未来にツケを回しているのが現実ではありました。

今はふるさと納税で多少は財源ができていますが、どこまで保つのでしょうか。ちなみにその村も含めて好調な自治体では数十億円単位でキャッシュが集まっているようですが、自分の住む東京二十三区や首都圏の主要な自治体は税収減に苦しんでいます。どこかで揺り戻しもあるかもしれません。

現地ではそれなりに熱い支持もあったのですが、相手候補は元の村の有力層(=箱モノ行政と土建屋)の手厚い支援を受け、資金力、選挙のノウハウ等、そもそもの戦力が圧倒的に有利でした。

こちらは途中で参加してくれた別の自治体で選挙経験のある方が「街頭演説前には、その場所のゴミ拾いをするものだ」と教えてくれて、慌ててゴミ拾いをしたりしていましがが、相手候補はすでにトングやチリトリ、ゴミ袋まで用意し、それをSNSにアップしたり、村の在籍年数以外にネットも活用したりして、上手くアピールできなかったのが悔やまれます。

早いうちから参加して、Webマーケティングのノウハウを使って、アピールしていく必要はあったかな、とは思いました。

まだ若いその候補も理念を持ち、しっかりした印象ですが、実際に村の舵取りをする際に、旧勢力に頭が上がらなくなるのは懸念されます。それでも彼の理念に沿った村づくりを進めていくのか、それとも旧態依然とした流れを継承して、やがて静かに衰退していくのか、そこはまた遠くから見守っていきたいところです。

何はともあれ、また近々、村を訪れ、友人とは50代も半ばに差し掛かった自分たちの人生のこれからのステージの生き方について、語り合いつつ労を労いたいと思っています。本当にお疲れ様!!!

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